私が昔抱いていた夢は、医師になることでした。
幼少の頃から、なぜか、「家庭の医学」を愛読していたという、実に変わった趣味を持つ、いわゆる”医学オタク”でした。
しかし、元来、勉強嫌いだったこともあり、学業成績は医学部受験などには到底及ばず、家族からも「お前が医者になったら、人を殺すからやめとけ」と言われ、自分自身の意志の弱さもあって、結局は単なる”憧れ”で終わりました。
それでも、医学・医療の世界への憧れを捨てきれず、大学の法学部を卒業して何の迷いもなく、製薬会社にMR(医薬情報担当者)として就職しました。
製薬会社のMRは、自社の医薬品を医師に処方してもらうために病院や診療所を回って営業活動をする、いわゆる営業マンである。
同期入社のメンバーの半数は、理科系、しかも薬学部出身の薬剤師資格を持つ人も多数いて、入社時の合宿研修(3か月)は結構たいへんでした。
それでも、興味のある医学・薬学系の勉強は、あまり苦にはならず、理系が多数を占める同期生の中でも、研修中のテストの成績は約70名中で平均10位以内で推移していました。
でも、大変だったのは、研修を終えて現場に出てからでした。
製薬会社の3ヶ月の合宿研修が終わると、70名いる同期は、全国にある営業所に配属される。
いよいよ、営業の現場に出て行くのである。
配属先は、あらかじめ各自で第三希望まで出すことが出来た。
私は、第1希望:南関東営業所、第2希望:北関東営業所、第三希望:甲信越営業所を、希望として提出した。
同期のほとんどは、自分の故郷である地域を担当する営業所を希望したが、私は、あえて自分の故郷である東京の営業所は希望しなかった。
理由は単純。
生まれ育った東京から離れて田舎暮らしがしたかったのと、親元から離れて一人暮らしがしてみたかったから・・・。
結局、第2希望の北関東営業所に配属されることが決まった。
一緒に同営業所に配属された同期は、私を含めて4名。
この営業所は、水戸市内にあったが、茨城・栃木・群馬の3県を営業エリアとしていた。
私ともう1人(J君)は、栃木県を担当する係(第2係)に配属された。
他の2人は、第1係(茨城県担当)と前橋出張所(群馬県担当)に、それぞれ配属された。
同期のJ君と二人で、宇都宮線に乗って、夜の宇都宮駅に降り立ったときの、なんともいえない心細さは、今でも鮮やかに思い出すことができます。
栃木県に赴任してから下宿先が決まるまでの間は、ひなびた感じの”N旅館”に宿泊しながら仕事をすることになっていた。
慣れない旅館暮らしで、夜もよく眠れなかったのですが、幸い、旅館の人が親切な方で、実によくしていただきました。
懐かしいな~。 あの”N旅館”は今でもあるのでしょうか・・・。
さて、仕事の方は、しばらくの間、先輩社員に随行して現場の営業を覚えることから始まります。
営業の実地トレーニングが始まった。
まずは、先輩社員の営業活動に同行し、現場の仕事を覚える。
朝は8時に医薬品卸を訪問し、卸の営業社員(今でいう”MS”)と営業の打ち合わせをする。
この打ち合せでは、各MSの担当する病院や診療所ごとの売上げ実績のチェックと売上げ見込み数字のチェック、そして今日1日の動きについて、じっくりと打ち合わせをする。
特に、診療所(病床数19床以下)の売上げにおいては、MSの営業活動に依存する部分が大きく、我々メーカーのMRが如何にMSさんたちに動いていただけるかが大きく数字を左右する。
MSさんは、日々様々なメーカーと接していて、それぞれのメーカーが競合する医薬品の販売合戦を繰り広げている中で、どのメーカーを重点的に売ろうか・・と日々選択して営業活動しているわけである。
だから、我々メーカーのMRとしては、力のあるMSさんとの人間関係を構築して、自社製品を贔屓していただけるように、卸に詰めているときも常に営業モードを絶やすことができない。
MSさんに嫌われたら最後・・・。
そのMSさんの担当先には、自社製品の売上げを期待できなくなってしまうから・・。
卸では、メーカーごとの月間販売計画をMSごとに詰めていく、”積み上げ検討会”なる会議を、毎月月初に開いていた。
この会議では、ラウンドテーブル方式で、担当MRが各MSと膝を突き合わせて、得意先ごとの今月の販売計画を立てていくのである。
これが、結構、厳しい。
ただでさえ、毎月の売上げノルマが厳しいのに、おいそれ・・とMSさんが数字を積み上げてはくれない。
特に、若い新人MRのいうことなど簡単には聞いてもらえない。
卸での”積み上げ検討会”・・・・私も、ずいぶん苦労しました。
製薬会社に入社してから6ヶ月間は、試用期間であり研修期間でもある。
4月に入社して、10月には担当を任されて、売上げ目標(ノルマ)も持たされる。
営業車として渡されたのは、忘れもしない、古びたトヨタスプリンター・セダンであった。
会社は上下関係が厳しく、新人用にと新車が納車されても、その新車は新入社員に渡されることはなく、先輩社員が優先的に新車に乗ることになっていた。
だから、私は、先輩社員の乗りつぶした、フェンダーミラーが壊れてガムテープで留めてあるオンボロ車に乗って、営業することになった。
学生時代に運転免許を取っていたとはいえ、ほとんどペーパードライバーだった私にとっては、知らない土地での運転は、とても不安だった。
前任者である先輩からは、たった1日だけ、しかもほんの5件程度の引継ぎしか受けておらず、いや、引継ぎらしい引継ぎは受けていない。
だって、引継ぎの同行では、先輩が指示する病院や診療所の駐車場までは一緒に行ってもらったものの、ほとんど単独での飛び込み訪問を指示され、実質一人であいさつ回りしたようなものだから。
だから、担当地域の道路を覚えるのに苦労し、担当の病院に顔を売ること自体が大変だった。
無我夢中の社会人1年目であった。
でも、そんな1年目に、ショックな出来事があった。
一緒に栃木県担当の係に配属された同期のJ君が、退職すると言い出したことだった。
聞けば、彼は元々ミュージシャン志望だったそうで、音楽への興味を捨てがたく、音楽業界へと転身する決意を固めたようだ。
彼は今では、某大手の有名楽器メーカーでバリバリ活躍しているようだ。
さて、J君の退職によって、私の担当エリアが倍増することになったから、さあ大変!!
栃木県南部に加えて、同県東部、北部・・・。
北は那須高原の山奥から、東は真岡、芳賀郡、南は小山市、野木町まで。
定期訪問先は開業医150軒、病院10軒。
売上げ目標は、半年で1億2千万円。
それでも、日々必死で訪問活動して、なんとか売上げノルマは達成できた。
でも、実は、もっと大変だったのは、入社2年目のことだった。
入社2年目となり、後輩の新入社員も入ってきて、営業活動にも一際プレッシャーがかかるようになった。
上司からは、二言目には、
「新人に負けるようじゃダメだぞ!」
と、厳しい叱咤激励が、日々飛ぶようになった。
さらに、その頃、会社では新薬が発売された。
○○○キサンという合成抗菌剤。
要するに感染症などの治療薬である。
この手の薬は競合品が多く、まさに我々MRの営業力によって売らねばならない、”厳しい”製品なのである。
この前年・・つまり入社1年目のときの会社の主力商品は、○○ラート○錠だった。
この”○○ラート○錠”は、高血圧や狭心症の最新治療薬として、当時は画期的な製品としてドクターの間でも定評があり、いわば製品力で、放っておいても売り上げは、ある程度は上がっていた。
しかし、今度の”○○○キサン”は、そうはいかない。
ほぼ完全にMR個々人の実力で売らねばならない。 さあ、たいへん!
これからが、いわば本当の地獄の1丁目であった。
製薬会社に入社2年目、新しい合成抗菌剤”○○○キサン”が発売された。
会社としては、久しぶりの感染症治療薬市場への参入である。
全社的に、かなり力が入っており、私の所属する北関東支店としても、支店長以下ほとんどの社員が、怖いくらいに気合いが入っていた。
ご他聞に漏れず、我が所属する栃木県担当係も相当、ピリピリとした空気が支配するようになった。
当時、北関東支店は、販売実績全国第1位を数年間連続して維持しており、支店長としても、”○○○キサン”の売上げで全国1位から陥落するわけには意地でもいかないわけである。
当然の帰結として、栃木県担当係(第2係)にも相当のプレッシャーがかけられていた。
発売当日、まずは、開業医全件へのサンプル(試供品)設置が、発令された。
係長の号令の下、第2係全員が、担当地域に散った。
私も、必死で開業医を回って、次から次へとサンプル設置をお願いして回る。
1日で、15件以上のサンプル設置を目標としていたが、午前中5件、午後10件で、目標達成。
こんなことを数日間継続し、約1ヶ月で、開業医全件にサンプル設置が完了した。
あとは、サンプル設置先をフォローして、処方を促し、購入に結びつけるだけである。
本当の勝負は、言うまでもなく、これからである。
当時、私は病院も数件担当していたので、病院への全件採用も、支店長からの厳命が下っていた。
開業医については、ある程度、卸のMSに協力してもらって採用に結びつけることができるが、病院はそうはいかない。
MRとしての真の実力が試されるのが、病院なのである。
病院に新薬を採用してもらうには、薬品の購入権限のある人(多くの場合、薬局長)を攻略しなければならない。
病院によっては、薬局長の許可がなければ、医局での新薬の宣伝活動ができない病院もあった。
当時、私が担当していた病院のなかには、前任者の失敗が原因で、出入り禁止とされていた病院もあったので、これが大変だった。
「なにがなんでも病院全件採用を!!」
これが、支店長から下された、至上命令だった。
でも、「出入り禁止の病院」や、どうみても高額な合成抗菌剤など使う症例のなさそうな「精神病院」などが数件、私の担当先に含まれていて、愕然となった。
それからというもの、まさしく、胃の痛くなるような日々を過ごすことになったのである。
新薬”○○○キサン”が発売されてからというもの、毎週月曜日の午前中に行われる”係会議”と、毎月月初に行われる”支店会議”が、非常に厳しいものとなった。
ただでさえ、感染症市場は過当競争といわれていて、新薬の参入は厳しいといわれているのに、北関東支店は全国1位の実績を死守すべし・・と支店長から厳命が下されていたから・・・。
係会議では、栃木県担当チーム(第2係)だけで集まって、メンバー各自の販売実績のツメが行われる。
特に、”○○○キサン”の開業医への新規採用件数と、病院への採用状況のツメを重点的に行う。
月曜の朝、係長の足音が聞こえると、会議室で待つメンバー全員に緊張が走った!
それくらい、毎週月曜日の係会議は、厳しいものであった。
係長の顔が”鬼”に見える。
いよいよ、メンバー個別のツメが、係長によって行われる。
係長
「 森っ!! お前は、先週、何件売ったんだ?!」
私、
「は、はい・・。○○件です・・。」
係長、
「病院は?」
私、
「・・・・。ま、まだ・・です・・。」
係長、
「 いつ採用になるんだ? 」
私、
「 ・・・・・。わかりません・・・。 でも、今、一生懸命に・・・。」
係長、
「ばかやろ~~!! お前は、やる気あんのか~?! 」
もっと酷いときは、
「 やる気がないなら、やめちまえ!!」
とまで、言い放たれた。
<今なら、パワハラ? それとも不当解雇?>(笑)
やっぱり案の定、胃潰瘍になった。
あまりの胃の痛みで、自分の担当する病院で、営業のついでに診てもらった。
ドクターいわく、
「森さん、ストレスだね。 森さんみたいにデリケートな人は、MRの仕事はきついかもね・・・。」
こんなことをお得意先のドクターに言われてしまって、返す言葉がみつからなかった。(なさけな~・・)
係会議も大変だったけど、毎月月初に水戸まで出張して行われる支店会議が、もっと大変だった。
毎月、月初に水戸にある支店で行われる「支店会議」では、北関東支店に所属する茨城チーム(第1係)、栃木チーム(第2係)、群馬チーム(前橋出張所)のメンバーが一堂に会して、丸1日係りで、売上げ数字のツメや情報交換を行う。
この会議で、もっとも嫌だったのは、数字のツメはもちろんのこと、営業活動状況と今後の見込みの発表であった。
これらの営業報告は、北関東3県の各担当係の係長が代表して、担当する県内のチームとしての活動報告を行うのだが・・・・。
支店長からは、容赦なく、係長を飛び越えて、各担当者にまで直接個別の質問が飛んでくる。
支店長
「森ィ~、お前が担当してる○○病院やけど、”○○キサン”はいつ採用になるんや~?」 (関西弁です)
私
「は、はい、現在~~~~~~という具合に、活動していますけど、×××がネックとなっていて、採用困難な状況です。」
支店長
「森ィ~、言い訳はいらんのじゃ! わしゃ~、いつ採用になるんやときいとるんや! 」
「ウチの支店は、出来ん奴はいらんで~! お前もやる気ないんやったら、(会社を)辞めてもいいんやで~! ウチはまったく困らんからな~。」
私
「くっ・・・・・。いや、絶対に採用させますから・・・! 」
思わず支店長を睨み返してしまった。
皆が見ている前で、吊るし上げられ、恥をかかされ、あまりにも悔しくて、吐き捨てるように宣言してしまった。
会議の後で、先輩社員たちから、
「お前、度胸あるな~。 支店長にあんな言い方するなんて・・。でも、あんなこと宣言したら、本当にやらんかったら、ただじゃあ済まされんぞ!」
と、脅かされた。
この当時の私の担当病院への”○○キサン”採用状況は、担当7件中3件という状況だったと記憶している。
たしか発売後3か月後くらいだったかと記憶している。
この時点で、まだ採用されていない病院は、例の出入り禁止を食らっている”I病院”、精神病院である”O病院”"A病院”"K病院”だけであった。
感染症治療薬を多く使用するであろう内科系・外科系の総合病院は、ほぼ全て採用させていた。
精神病院は、なんとか最小ロットを1箱でも購入してもらえば、一応は採用されたことになる。
しかし、出入り禁止の”I病院”だけは、総合病院であるので、誤魔化しはきかない。
“I病院”に新薬を採用させるには、まず、出入り禁止を解除させることが第一関門なのであるが、私にとってはこの時期の最大の課題となってしまった。
さあ、どうする?!
新薬の”○○○キサン”を、担当先の病院全件に採用させるには、まずはI病院の”出入り禁止”を解除させる必要があった。
前任者の失態によるものとはいえ、I病院の会社そのものに対する不信感は、根強いものがあるようだった。
この”I病院”の医薬品採用権限をもち、医局へのMR活動の許可権限をもっているのは、H薬局長であった。
このH薬局長は、物腰は柔らかいが、一筋縄ではいかない頑固者として、MR仲間の間では評判であった。
私が、何度となく、前任者の失態に対する侘びを入れても、
「おたくの会社は信用できない!」
の一点張りで、一向に、医局での宣伝活動を許可してもらえない。
どうすればよいか、考えあぐねて、日々のMR活動が憂鬱な気分に支配され始めた。
更に憂鬱な気分に拍車をかけたのが、毎週月曜日の係会議と、毎月月初の支店会議であった。
容赦なく、病院採用状況のツメが行われる。
相変わらず、上司は、
「言い訳はいらん!! やれ!!」
の一点張り。
そして、更に、
「お前は何やっとるんじゃ~! やる気がないんなら辞めちまえ~!!」
と、怒鳴られる。
この時期は毎日が辛く、まさしく、途方に暮れていた。
そんなときに、毎晩のように飲みに誘ってくれたのが、
一つ上の先輩であるN先輩。
N先輩は、病院専門のMRであり、当時は栃木県のD医大病院を担当し、好業績を上げていた、いわば”仕事の出来るMR”であった。
D医大も、前任者の失態で、出入り禁止同然の状態であったが、N先輩が担当を引き継ぎ、わずか半年で業績を急上昇させてしまったほどである。
飲みながら話してくれるN先輩のアドバイス一つ一つが、”ワラをもすがりたい気持ち”の自分にとっては本当に有り難く、暗く落ち込んだ気持ちに再び火を点けてくれた。
それからは、もう、開き直りの”ダメ元”精神で、N先輩のアドバイスどおりの作戦を、愚直なまでに実行あるのみ・・・。
その作戦とは・・・・。
新薬の”○○○キサン”を、担当先の病院全件に採用させるには、まずはI病院の”出入り禁止”を解除させる必要があった。
それには、MRの病院内宣伝活動を許可する権限をもっているH薬局長を攻略する必要がある。
今だから話せますが、
当時、私は、営業職のくせに意気地がなく、ドクターや薬局長から拒絶されるとスグにメゲていた。
メゲてもナニクソと立ちあがって、課題に何度でもぶつかっていくだけの覇気は持ち合わせていなかった。
そのくせ、営業会議などでは、上司からの叱責に反発するような態度をして、却って自分の立場を不利にしてしまうことが多々あった。
実力も根性もないくせに、プライドばかり高い。
とても使えない男・・・・。
それが当時の私に対する上司の評価だったに違いない。
当時の新薬”○○○キサン”の病院採用実績の詰めにおいても、上司からの目は厳しいものがあった。
上司から突き付けられた言葉で、もっともキツク感じたのは、
同僚や後輩のいるところで、
「おまえは、本当に仕事してんのか~~?!」
と怒鳴られたときだった。
おハズかしながら、涙もちょちょきれんばかりに、凹んだことを覚えています。
そんな精神的に厳しい状況の中、3コ上のK先輩は毎晩私を飲みに誘ってくれて、
あるアドバイスをくれました。
名づけて”夜討ち朝駆け作戦”
担当病院への全件採用という厳しいノルマを達成するには、どうしても、”I病院”の出入り禁止を解除してもらう必要があった。
親身に相談に乗ってくれたK先輩のアドバイスは、
「薬局長(キーマン)に出入り禁止を解除してもらうには、お前の”誠実な態度”をわかってもらうしかない。だから、ダメ元で俺の言うとおりにやってみろ!」
何をやったかというと、
名付けて”夜討ち朝駆け作戦”!
要は、
朝早く(朝6時頃)病院に行って、(薬局の前で)薬局長が出勤してくるのを待ち構えていて、来たら差し入れを渡す。
さらに夕方、薬局長が帰宅の途につく頃(夕方6時過ぎ)を見計らって、薬局の前で待ち構えていて、挨拶をする。
・・・・という単純なものだった。
差し入れが何だったかは記憶していないが、とにかく、土日の休日以外は毎日朝晩欠かさずこの病院に行っていたと記憶している。
とにかく毎日のことなので、今思えば、
“ストーカー”まがいの行動であり、一歩間違えば、却って逆効果になっていたかもしれない。(笑)
最初の頃、薬局長は、差し入れを受け取ってはくれるものの、
「こんなものをいただいても、お宅と付き合うつもりは今後もないから無駄だよ!」
と冷たく言い放たれた。
しかし、薬局長が冷たい態度をとることは百も承知の上での作戦なので、メゲずに淡々と行動を継続した。
連日の”夜討ち朝駆け”の行動に、1週間経ち、2週間経ち・・・と経過するうちに、薬局長の態度が徐々に柔らかくなってきた。
最初の頃の冷たい態度は、徐々に影を潜め、笑顔で挨拶を返してくれるようになってきた。
それでも、1ヶ月間は何も変化はなく、私の”夜討ち朝駆け作戦”は続いていた。
もちろん、こちらから「出入り禁止を解除してください」とは一言も言わず、ただただ、行動あるのみだった。
作戦開始から約1か月が経過した頃、薬局長から呼び出しがかかった。
「お宅の出入り禁止を解除します。」とのことだった。
薬局長いわく、
「君の真面目な態度に負けたよ。とりあえず、医局への出入りを許可します。ただし、君の会社の薬を採用するかどうかは、あくまで医局のドクターが決めることだから、一生懸命に営業するように!」
この薬局長の言葉に、大げさでなく、涙が溢れそうになった。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
これ以上下げられないくらい深々と頭を下げて、お礼を言った。
病院からの帰り道、車を運転しながら涙が溢れて仕方なかった。
「俺はやったんだ! こんな俺でもやればできるんだ!」
実に大きな達成感だった。
しかし、本当の勝負はこれからだ。
合成抗菌剤”○○○キサン”を、何がなんでもこの病院に採用させなければならない。
鬼のK支店長との「病院全件採用」の約束達成期限まで、あと2カ月しかない。
“口先男”との汚名返上のため、まさしく全力で営業するしかない!!
前任者の失態のより”出入り禁止”となっていたI病院への出入りが許可されたわけだが、本当の勝負はこれからである。
さっそく、上司(S係長)に報告を入れた。
S係長は、「よくやった! お前もやればできるじゃん!」 と褒めてくれた。
しかし、本当に大変なのはここからだ・・・・。
当時、合成抗菌剤の市場は、同種同効品が4種類くらい出ていて、どれも似たり寄ったりの効能効果という業界認識があり、まさにメーカー同士の熾烈な競争が展開されている厳しい市場であった。(たぶん、現在では当時以上に厳しい市場となっているに違いないが・・)
そういうわけで、売上はまさしくMR自身の営業手腕にかかっていると言っても過言ではなかった。
I病院で既に採用されている合成抗菌剤は、K製薬の”○○○ダール”だった。
これをひっくりかえす(製品を切り替えてもらう)ことは、相当困難であろうことが予想された。というのは、当時K製薬の担当MRは、この地区のMR連中の間では”やり手NO1”という定評のあるT氏であったからだ。
さあ、次なるターゲットは、医局のドクターたちである。
合成抗菌剤の採用決定権をもつのは、内科の医局長A先生だ。
I病院の医局は病院の2階にある。
午前中の外来診療が終わったドクターは、この医局で休憩をとるのだ。
さっそく、昼前に病院訪問し、まず薬局長に挨拶し、それから2階の医局に行く。
会議室風の医局の部屋には、8人掛けくらいの長テーブルが2脚つなげて置いてあって、その周りに折りたたみのパイプ椅子が16脚。
我々MRは、もちろん椅子に座ることなど許されないので、座っているドクターを囲むようにして立って、背後からドクターに話しかけるのである。
医局長のA先生は、当時まだ30歳代前半くらいの新進気鋭の内科医であり、ジャニーズ系のなかなかのイケメンであった。
性格も明るくて気さくなドクターだったと記憶している。
この病院は、他の病院に比べて若いドクターが多かった。
さっそく医局長のA先生に、挨拶し、”○○○キサン”の製品説明をする。
A先生いわく、「う~ん、でもねえ、ウチの病院には既に”○○○ダール”が入っているからね・・。でも、製品自体は良さそうだから、検討してみてもいいよ。」
この「・・・検討してみる・・・」が曲者なのである。
この言葉の裏には、こちら側の対応をみてみるよ・・というニュアンスが隠されている。
でも、断られはしなかったので、まだ余地はあるということである。
さっそく、次なる具体的な作戦を練らなければならない。
自社製品の採用のために医局長に動いてもらうためには、いうまでもなく、医局に何らかのメリットを与える必要がある。
いったい、何をしたらいいのか・・・。
医局でドクターたちと会話をしていく中で、定期的に医局の勉強会兼懇親会を行っている・・との情報を得た。
これを利用しない手はない! 直観的にひらめいた!
さっそく医局長に、勉強会兼懇親会のスポンサーを申し出た。
つまり、医局の若手ドクター約10名を、丸抱えで接待するのである。
場所は、宇都宮。
某有名高級焼肉店で勉強会をセッティングし、飲食接待を行う。
総勢10名もいるドクターを一人では接待できないので、後輩のT君をつれて2人で接待した。
二次会は、医局長A先生のリクエストで、A先生いきつけのカラオケスナックへ・・・。
さすがに10人ものドクターがいれば、カラオケが好きな人と嫌いな人に分かれる。
しかし、この医局のドクターたちは皆協調性にあふれた方たちばかりだった。
A先生を始めとする”歌好き”な人は、次から次へと歌いまくるが、そうでもない
人はもっぱら手拍子などで雰囲気を盛り上げる役にまわっていて、MRとしても比較的楽な接待だった。(笑)
中でもA先生が歌ってくれた”杉山清貴&オメガトライブ”の「サイレンスがいっぱい」は、感動ものだった。
出入り禁止となっていたI病院の出入りが許可され、医局のドクターへの営業が始まった。
医局長のA先生を始めとするドクター総勢10名を、宇都宮で飲食接待。
私と一緒に接待を手伝ってくれた後輩のT君の活躍もあって、接待は大盛り上がりのうちに終わった。
さっそく翌日に、接待後のフォロー営業に、I病院の医局に行き、医局長に挨拶。
「A先生、昨夜は本当にありがとうございました!!今後とも是非、よろしくお願いします。」
と深々と頭を下げてお礼を言った。
A先生は、恐縮したように、
「いや~、こちらこそ大変御馳走になっちゃってね~。
ところで、前話してた”○○○キサン”だけどさ、使ってみたいから、薬局にサンプル置いておいてよ。」
やった!!!
これで、”○○○キサン”採用の第一歩を踏み出すことができた!
歓喜に震える声で、上司であるS係長に報告の電話したのを覚えている。
新薬は、薬局にサンプル(試供品)を設置し、ドクターの処方によってサンプルが消化されると、めでたく発注(購入)となるわけである。
病院に新薬が採用されるとは、実際に購入されることをいうのである。
ほどなく、I病院は、サンプル設置から1週間程度で購入(採用)となった。
出入り禁止となっていて、ケンモホロロに門前払いされていた病院を、出入り解禁させ、新薬の採用という結果に繋げることができたことは、私にとって、今でも掛け替えのない一つの自信となっている。
むろん、当時の担当病院7件は、この病院も含めて全件採用をやり遂げることができた。
とにかく、無我夢中、なりふりかまわず行動しまくった。
できない言い訳を考えるよりも、どうしたら出来るのか・・を考えることの大切さを、このI病院の営業を通じて身をもって学ぶことができたと思う。
厳しく鍛えてくれたK支店長、S係長、よきアドバイスをくれたK先輩には、今でもたいへん感謝しています。
ちなみに、この時期、全社的に”○○○キサン”売上上位者の表彰制度があり、
私が、K支店において売上ナンバーワンに輝くことができて、表彰された。
我がMR時代の唯一の栄光であった。(笑)